これがpe’zmoku最後の作品になるかもしれない 「事情ありき」「前提ありき」で聴くのはもったいない とてもぜいたくなアルバムになっている。 (兵庫慎司 ロッキング・オン/RO69) 例えば、ミスやトラブルなどを起こしてしまった時、あるいは不正を働いたことが明るみに出そうになった時、なかったことにしようとしたり、ごまかそうとしたり、というふうに、人は動いてしまうことがある。 人はというか、自分もよくある。で、その結果、あとでばれてもっとひどいことになって、つまり目先のストレスをいやがったばかりにあとでもっとでかいストレスを食らう結果になって、「あの時正直にミスと向き合っておけば……」と後悔したりする。というのは私個人のレベルですが、これがもっと大きくなると、例えば食品偽装問題になったり、厚労省の年金問題になったりするわけです。ってなんでpe’zmokuのニュー・アルバムの宣伝資料でこんなことを書いているのかというと、2009年3月に、このバンドを襲ったトラブルに対する本人たちの向き合い方に、ちょっと驚いたからだ。 ご存知の方も多いと思うが、一応説明。 「侍ジャズ・バンド」PE’Zと、「オルタナティヴ・フォーク」シンガー・ソングライターsuzumokuが合体して生まれたpe’zmokuは、ミニ・アルバムを2枚リリースした後、2月4日に初のシングル“ハルカゼ”をリリースし、21箇所24公演というバンド始まって以来の長いツアーに出る予定だったが、そのツアー開始3日前に、suzumokuが失踪。連絡がとれなくなる。バンドは、頭2本を中止にし、3本目からラストまでを、PE’Zとして回ることを決め、ツアーに出る。ツアー途中で、suzumokuと連絡がとれて無事が確認され、リーダーのOhyama“B.M.W”Wataruは本人と再会。ツアー中、本人からのお詫びの言葉が発表され、ツアー終了後には、メンバー全員とsuzumokuでテーブルを囲むことができたという。 で。彼らがこの事態にどういう形で向き合ったのかというと、「公式サイトを使って、リアルタイムですべてファンに発表し、詫びていく」という形で、向き合ったのだった。今回のこのトラブル、事件ではあるけど、ある意味いくらでもごまかしようはある。「急病のため」っていえばすむ。というか、失踪したということは心の病だったとも言えるわけで、であれば急病と言っても嘘ではない、とも言える。しかし、彼らはそうしなかった。ファンに対して責任をとりたい。そのためには、何かをごまかしたり、にごしたりすることはできない、というかしたくない。という意志だったのだろう。おそらくそれは、「ごまかすとかえってあとで大変なことになる、正直に報告したほうが徳だ」というような、大人な計算による判断ではなかったと思う。「嘘つくのは嫌だ」「ファンを裏切るのは嫌だ」というような、愚直なまでの正直さと誠実さから、選んだ判断だと思う。思うが、それが結果的に正しかったことは、明らかだ。逃げてはいけない、ごまかしてはいけない、正面から向き合わなくてはいけない、ということだ。 って、改めて書くのも恥ずかしいような、簡単な原則論だけど、それができないから政府も企業も自分もグダグダになっているわけで、つまり簡単じゃないことを彼らはやった、ということだ。 今後pe’zmokuがどうなるかは、そのツアーの途中まで発表されなかったが、まず、ニュー・シングル“アノ風ニノッテ”が、5月27日にリリースされることが告知された。続いてリリースが発表されたのが、この初のフル・アルバム『ペズモク大作戦』だ。いずれも、リリースするかどうか迷ったことを、公式サイトでOhyamaは明かしている。しかしこれも、出すことと出さないこと、どちらがファンに対して責任をとれるかと考えた末、出すことを選んだのだと思う。 で。ここまで延々書いておいて、なのにいきなり覆して申し訳ないが、以上のような事情をすべてどっかへ置きっぱなしにした上で、ここに収められた曲たちと向き合ってもらえればと思う。そのような込み入った「事情ありき」「前提ありき」で聴くのはもったいない、そんなアルバムになっているからだ。 これまでリリースしてきた2枚のミニ・アルバムやシングルの曲が9曲、新曲が5曲、合わせて14曲を収録。デビュー・アルバムなのにまるでベスト盤みたいな、どキャッチーでどポップな楽曲がひしめき合う、とてもぜいたくなアルバムになっている。楽しさ、哀愁、勢い、虚しさ、笑い、悲しみ、激しさ、絶望、狂気、その他もろもろ、ポップ・ミュージックに包括されていてほしいさまざまな感情が、ここでは鳴っている。そしてその上で、全体に「でも、まあ、なんとかなるか」とでもいうような、なんとはなしの楽天性みたいなものが漂っているところが、とてもすばらしいと思う。 これがpe’zmoku最後の作品になるかもしれない。というのは、実は、事件が起きようと起きまいと予想されたことではあるが、これがpe’zmoku最後の活動なのかもしれない、というのは、事件のためだろう。本来なら、これをリリースしたあとツアーが行われたはずだが、6月1日現在、リリース後のpe’zmokuの活動については、一切アナウンスされていない。なので、これで終わりなのかもしれないが、ちょっと、何か、あった方がいいんだけどなあ、と、ファンとしては思う。こんなにいきいきと生命力にあふれた楽曲たちは、やっぱりライヴでも聴きたい。 あとひとつだけ。「ボクラトコラト生きる日々を 繋いでゆこう ずっと」という歌いだしで始まる、このアルバムのラスト・トラック“ボクラトコラト”。ヒイズミマサユ機作曲のこの曲は、失踪から戻ってきた後、suzumokuが歌を歌い、録音したものだという。 |
||||
“嘘をつくのが嫌だった”そういうバンドであり、そういう人たちである。 NEWシングル「アノ風ニノッテ」は、極点までイキきっている。 だから気持ちいいし、笑えるし、感動できる!! (兵庫慎司 ロッキング・オン/RO69) まず、避けて通れないことを、最初に書いておく。 2月4日に、pe’zmoku初のシングル「ハルカゼ」をリリースし、このバンド始まって以来最も多くの本数の、21ヵ所24公演のツアーに突入する、その3日前。pe’zmokuのヴォーカリストでありギタリストでありソングライターであるsuzumokuが、失踪した。 何の前ぶれもなく、連絡がとれない状態になり、ツアー初日の3月5日渋谷O-nestと2日目のHeaven’s Rock宇都宮 VJ-2は中止。残されたメンバーは、11日&12日仙台MA.CA.NAからの日程を、PE’Zのツアーとして行うことを決定、ロードに出る。5月1日に恵比寿LIQUIDROOMでツアーが終了する頃には、suzumokuの無事は確認され、メンバーやスタッフとコミュニケーションがとれる状態にはなっていたが、pe’zmokuとして6人で人前に立つ予定は、今のところない――。 以上の事実は、逐一リアルタイムで、Ohyama“B.M.W”Wataruによって綴られ、pe’zmokuの公式サイトにアップされた。また、suzumoku本人の謝罪の言葉もアップされたので、多くの方がご存知だと思う。 ということ事実に関して、僕が付け足して解説したりすることは、特にない。 ただ、ひとつだけ書いておきたいのは、というか、僕が最も驚いたのは、バンドにこういうことが起きたという事実を、PE’Zはそのまま正直に発表した、ということだ。 普通は、しない。「急病のため」とかそんな理由、いくらでもつけられる。というか、今回のこれを「急病のため」と発表したところで、広義の意味では、必ずしも嘘ではない、とも言えるし。僕だったら、間違いなくそうしただろう。 しかし、PE’Zはそうしなかった。理由はバカみたいにシンプルだ。嘘をつくのが嫌だったからだ。がっかりさせたり心配させたりしてしまったファンに対して、ごまかすようなことをするのが耐えられなかったからだ。みんなに詫びなければならない局面で、そんなことをしてしまっては誠意が伝わらない、と判断したからだ。としか、思えない。 このPE’Zの選択が、正しかったのか間違っていたのかは、まだわからない。わからないが、そういうバンドであり、そういう人たちであることは、少なくともわかっていただければと思う。 5月27日にリリースされるpe’zmokuのニュー・シングル「アノ風ニノッテ」には、インストや別バージョンを除くと、新しい曲が3曲収録されている。 Ohyama作詞作曲、唱歌のメロディとシカゴ・ブルーズのリズムが合体したような音にのって朗々とsuzumokuが歌う、素朴で美しくてグルーヴィーな1曲目、“アノ風ニノッテ”。suzumoku作詞、ヒイズミ作曲による、pe’zmoku得意の「どジャズ+フォーク+パンク」な“P.M.トガリアンズ”。3曲目は、エビスビールのCMでおなじみの“第三の男”のカヴァー(というか、実際ヱビス「<ザ・ホップ」>のCMで使われるらしい)。suzumokuがあのメロディを、あっけらかんと延々くり返して歌っていて、笑えます。 いずれも、前述の事件の前に、レコーディングされていた、ということになる。いずれも、それぞれの方向につきぬけている。「この方向で80点のとこまで進んでみました」みたいな曲じゃなくて、極点までイキきっている。だから気持ちいいし、だから笑えるし、だから感動できる。そんな仕上がりだ。 これがpe’zmoku最後の作品になるのか、まだ何か録ってあるのか、というのは知らない。知らないが、このむこうみずな勢いとブライトネスに満ちている曲たちが、できれば何のフィルターもなしに、まっすぐに聴き手に届けばと思う。って、そんなの無理な気もするが、いろんなことを考えたり慮ったり、邪推したりしながら聴くのは、とてももったいない気がするので。 あともうひとつだけ。やっぱり、正直、どんな形であれ、これで終わってほしくはない、と思う。 |
||||
pe'zmokuの初シングル『ハルカゼ』 ワン&オンリーなもの。それをなんと呼ぶのか。名曲と呼ぶのです。 なんだかもう、マジックかかりすぎ。 ずいぶん前から音楽シーンで広く知られる「侍ジャズ・バンド」PE'Zと、まだ広く知られてはいないけど「すごい新人がいる」と一部で話題になっていた、アコースティック・ギター弾き語りストリート・シンガー・ソング・ライターsuzumoku。その二者が合体して、新ユニット、pe'zmokuを作った。2007年暮れのPE'Zのライヴのアンコールで、初めて人前に出た。2008年になって、『ギャロップ』『蒼白い街』と、2枚のミニ・アルバムを作って、リリースした。ツアーをやった。各地のイベントやフェスにも出た。“ギャロップ”がアニメのエンディングで流れたり、テレビの歌番組に出たり、CMにも出たりした。で、明けて2009年、2月4日に、初のシングル“ハルカゼ”が出る。どうでしょう、これ。内情を一切知らないにもかかわらず、勝手に決め付けてしまうが、私が思った「こうでしょう」はですね。 長くやる気ねえな、これ。 です。いや、実際どうなのかは、知りません。ライヴを観る限りでは、すごく楽しそうにやっているし、「アニキたちと弟」って感じで仲もよさそうだったし、年齢も経験もキャラクターも音楽性もまったく違うがゆえに、却ってお互いにとって刺激になるポイントが多い、というようなことをMCとか取材とかで言っていたし。いい関係性の中で、いいものを作れて、いいライヴをやれているようにしか見えない。 だったら長く続くんじゃないか。いや。そういうもんでもない。前にも何度か書いたことがあるが、そして私以外にも書いたり言ったり感じたりする人が多いポイントでもあると思うが、そもそもですね。PE’Zにしろsuzumokuにしろ、己だけでは弱いとか、プロデューサーとかサポートとかの、誰かの手が必要とか、そういうタイプのアーティストではない。きっぱりと逆だ。誰の手も必要としないタイプだ。個性やカラーやクセやその他もろもろ、ざっくりと「オリジナリティ」という言い方をしてもいいが、とにかくそういうものがあまりに強烈で、誰かの手を借りるどころか単体だけでは濃すぎてできればちょっと水で薄めたいぐらいの音楽家たちだ、どっちも。それが、真正面から激突したのがpe’zmokuだ。そんなの大破して終わるか、なんとか作品になったとしても濃すぎて食えたもんじゃない仕上がりになるか、のどっちかだと思っていたら、意外にもそうじゃなかったのがpe’zmokuだ。濃いもの同士を足したら、どっちかが勝ったものではもなければただの足し算でもない、そのどっちとも違う、何か別の新しいものが生まれてしまったのがpe’zmokuだ。そしてそれが、驚くほど軽やかで、風通しがよくて、とっつきやすくて、簡単な言葉でいえばポップなものになった、のがpe'zmokuだ。 どうでしょう。もちろん、本人たちの意志や頭脳や戦略によって、そういうものを作ることができたというところもあるが、そういうものだけではどうにもコントロールできない、運や偶然やタイミングなどが重なって、いい化学反応が起きてこうなっている、というところも、間違いなくあると思う。 そんなラッキーなことが、何年にもわたって続くだろうか。続かないでしょう。本人たちもそれをわかっているから、こんな猛スパートで活動をしているのではないか。最初に書いた結成以来の歩みを見ていただければ明らかだが、他のバンドなら2、3年かけてやることを1年でやっている。「調子よくやれるうちに」「偶然が上手く働いているうちに」「魔法がかかっているうちに」、もしくは「Ohyamaとsuzumokuが大激突してクラッシュする前に」「そのクラッシュにヒイズミも飛び込んでさらに収拾つかなくなる前に」、とにかく、できることを、やりきってしまおうとしているのではないか。この人たちは。 重ねて言うが、実際はどうなのか知りません。実は、長くやるつもりなのかもしれません。しれませんが、その、2月に出るシングル“ハルカゼ”を聴いて、よりいっそう、そうじゃないことを確信してしまった。なんだかもう、マジックかかりすぎ。真正面からの、直球の、ただの、今の日本のポップス。いや、ポップスってレベルを超えて、小学校の卒業式とかで歌ってもおかしくないような素朴さにまで到達している。でありながら、歌詞もメロディもアレンジも演奏も、もう何もかもが、他にどこにもない。pe'zmokuしかやれない。言葉を選ばずに言えば、ベタで、わかりやすくて、通俗的で、聴き手を選ばなくて、そしてワン&オンリーなもの。それをなんと呼ぶか。名曲と呼ぶのです。 とりあえず、聴くにしても、ライヴとかを観るにしても、今のうちだと思う。 (兵庫慎司 ロッキング・オン/RO69) |
||||
|
||||
「侍ジャズ・バンド」PE'Z と、アコースティック・ギター弾き語りストリート・シンガー・ソング・ライターsuzumoku の合体ユニット、pe'zmoku の、1st ミニ・アルバム『ギャロップ』は、ちょっと衝撃だった。音楽性もキャリアも活動方針もキャラクターも知名度も、もう何もかも違う、その二者が結びついたという驚き。過剰なジャズ・バンド、PE'Z と、過剰なシンガー・ソング・ライターsuzumokuという、音楽的に「ここに何かを加える余地などない」「というか、現段階で既に過剰すぎて加えるどころかむしろ何か引きたいくらいである」同士である二者が、加わり合い、合体し合い、混じり合うということへの驚き。そして、その混じり合った結果としての音楽が、「PE'Z+suzumoku=pe'zmoku」というシンプルなユニット名には明らかにそぐわない、「A+B=AB」ではない、「A+B=まったく違う別の新しい何か」になっていたという事実の驚き。さらに、その「別の新しい何か」が、大胆で豪快でラジカルでありながら、同時にやたら新鮮で面白くて、なのにとても耳なじみがよくて、どうしようもなく惹かれる……要は、すごくポップなものであったことが、何よりも大きな驚きだった。 ジャズとロックやポップスなどの歌物の融合、というのは昔からあった手法だし……いや「手法だし」って話じゃないか。歌物のジャズ自体昔からあったし、それを歌謡曲にリアレンジしたものは、それこそ戦後すぐの日本で大流行したりもしたし、最近では10 年くらい前から、小島麻由美や椎名林檎やエゴ・ラッピンなどが先駆者となってその「ジャズ+日本のロックもしくはポップス」が改めて見直され、広まったとも言える。で、16 ビート、ホーン、ピアノ、そこにのっかる日本語の歌、ってなるとどんなサウンド・デザインになるかはおのずと決まるわけで、pe'zmoku もその手法の中に位置しているとも言える。 言えるんだけど、聴くと全然違うのだ。「ああ、この手法か」では収まらない、ワクワクするような新しさがあるのだ。どう新しいのか、そこを説明しなさいよって話だ。うん。そうなんだけど、説明できないのだ。サウンド・デザインとしては前述の通り「ああ、なるほど」というものであるにもかかわらず、それをつき破っていくような何かに満ちている。何かって何。「個性」とか「キャラクター」とか「人間力」とか「表現者としての濃さ」とか「過剰さ」とか、そういうものなのだと思う。ってぐらいしか、言いようがない。「ジャズ+ロックもしくはポップス」という形式を、『pe'zmoku』という内容が超えている。と言えば、ちょっとはわかりやすいかもしれない。よけいわかりにくいかもしれないが。 まあ、とにかく、それくらい衝撃的だったってことです。早くも10月8日にリリースされる、5曲収録の2nd ミニ・アルバム『蒼白い街』は、その衝撃のありかがどこだったのかを、さらに具体的に、かつわかりやすく我々に伝えてくれる作品になっている。前作に増して、演奏はもちろんだが、特に歌詞とメロディが、強烈に耳にひっかかる。言葉の意味やメロディのイメージが脳内を駆け巡る、そんなフックの強さがある。しかも、「suzumoku が作詞でOhyama が作曲」みたいに固定化されているのではなく、Ohyama 作曲もsuzumoku 作曲もヒイズミ作曲もあるし、歌詞もsuzumoku が書いたりヒイズミが書いたりしているのも、その面白さにさらに拍車をかけている。 驚くほどストレートで開放感に満ちた、歌とホーンそれぞれのメロディが競い合うように耳に飛び込んでくる表題曲"蒼白い街"。リズムもメロディもコードも、それぞれの楽器のプレイも、ほんとにもう「ハネる」「スウィングする」という言葉をそのまま音像化したかのような"それでもそれでもそれでも"。ダブと童謡とフォークのミクスチャーのような、素朴かつ不思議な味わいの"帰り道"。どジャズなインストゥルメンタル、ただし歌がないわけじゃなくて「歌も楽器扱い」という意味でのインストゥルメンタルである"DrumThunder"。suzumoku の曲(2nd ミニ・アルバム『プロペラ』に収録)をリメイク、より危険によりポップに、そしてより洒脱に生まれ変わった"酒気帯び散歩"。 いずれも、pe'zmoku がキャッチコピーにしている「とがっていこうぜ!」というフレーズの通り、「ほどほど」とか「適当」という概念とは真逆なことをやっている。やっていながら、ただとがってるだけじゃない、とがっていながら同時にしたたかさや強さにも満ちていて、前作以上にポップなものになっていること自体が、何よりもとがっていると思う。 しかし、こんなハイペースでミニ・アルバム2枚、計10曲も発表してしまって、アルバムはどうするんだろう。というか、そもそもアルバム出るのかな。出たらすごいけど。 (兵庫慎司 ロッキング・オン/RO69) |
||||
2002年のメジャー・デビューとほぼ同時に「日本で最も成功したインスト・バンドのひとつ」となり、以降、国内はもちろん欧米やアジアなど海外でも活躍する、「侍ジャズ・バンド」PE'Z。それまで活動は静岡県浜松市での駅前でのストリート・ライヴだけだった、つまり全国区ではまったく無名だったにもかかわらず、昨年10月のインディ・デビューと共に各地FM局のパワープレイやヘビーローテーションをかっさらいまくった、アコースティック・ギター弾き語りシンガーsuzumoku。 片や中堅というかベテラン(来年結成10年だし)で30代中盤、片や新人で23歳という違いはあるものの、どちらも優れたアーティストであって、そしてその二者が合体したのがpe'zmokuであって、優れたもの同士が結びついたんだから、そりゃ当然優れたものができるでしょう。と、考えると、ことを間違う。 そもそも何故これまで、PE'Zは歌ものをやらずにインストを貫いてきたのか。歌がいらなかったからだ。いや、もしかして「ほしいな」と思った時もあったかもしれないけど、だったとしても、物理的に無理だったのではないか。PE'Zほど「縁の下の力持ち」とか「バックで盛り立てる」とか「バイプレーヤー」とか、そういう神経が著しく欠落しているバンドは、いないからだ。PE'Zのバンド・サウンド、あれは「調和」とか「アンサンブル」とかではない。「闘い」だ。楽器によるすさまじい自己主張。攻撃。「しゃべるとジェントル、吹くと暴漢」Ohyamaと「ナチュラル・ボーン飛び道具」ヒイズミは特にそうだが、他の3人だって大して変わらないことは、ライヴを観たことのある方ならご存知だと思う。 ではsuzumokuはどうか。基本は歌とアコースティック・ギター1本、ライヴでサポートが入ってもウッドベースとドラムくらい、という、極めてシンプルな編成でやってきたのは何故なのか。これもはっきりと、他の音がいらないからだ。歌とギターが、特に歌が、あまりにも強いがゆえに。要は、どっちもうるさいのだ。ここで言う「うるさい」というのはスラッシュメタルやノイズ・ミュージック的なうるささではなく、ひとりひとりのプレイヤーの、歌い手の、表現力がでかすぎて、一斉に鳴らされるとえらいことになる、みたいな意味でのうるささだと思ってください。音の情報量が過剰、という言い方でもいいです。 そんな人たちが一緒にやってどうする。バラバラにやれよ。と思うところだが、このデビュー・ミニ・アルバム『ギャロップ』を聴いてびっくりした。予想通り、明らかに、そんな過剰で極端な楽曲が5つ並んでいる。6人が主張しまくっている。J-POPとしては明らかに規格外でトゥーマッチ。にもかかわらず、耳を疑うほどポップなのだ。地上波の音楽番組に出てくるものや、チャートの上のほうのものしか聴かないような人たちにも、ダイレクトに届いてしまいそうなくらい。そして、同時に、これまでPE'Zやsuzumokuを追ってきた耳で聴いても、狂喜乱舞したくなるくらい。つまり、どっちも何にも曲げてないし妥協してないし遠慮してないってことだ。にもかかわらず、何でそんな楽曲になったのかは、よくわからない。ただ、なっているんだからしょうがない。しょうがないってことはないけど、とりあえず、これがPE'Zよりもsuzumokuよりも売れても、まったく驚かない。というか、そうなってほしい。こういう「異形」と「ポップ」を兼ね備えたものが、せめて何年かにいっぺんは出てきてくれないと、日本の音楽は面白くならない。 (兵庫慎司 ロッキング・オン/RO69) |
||||
|
||||
|
||||
|
||||
|
||||














